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125件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2014-02-26 第186回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

まさに戦後の日本の発展のためのエネルギー基地と言ったらおかしいですけれども、只見川電源開発ということで、田子倉ダムを中心に水力発電国策として整備されてきた。これの資材の搬入搬出を含めて、そのインフラ整備が実は只見線であり、それがJR、国鉄の方に移管された歴史があるわけですね。つまり、利用客、通常の乗る人が少ない、多いではなくて、もともとそういう国策にのっとって、歴史が違うんですよ、普通のとは。

菅家一郎

2013-03-25 第183回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号

福島県は、平成二十三年三月十一日のいわゆる東日本大震災による原発事故だけではなくて、七月に、新潟福島豪雨によりまして、会津地域、特に、奥只見ダム田子倉ダム只見ダム、これの放水によりまして只見川が深刻なダメージを受けたわけでございます。橋や鉄橋は流されて、道路などや多くの人家が浸水の被害に見舞われました。激甚災害の指定を受け、復興再生に取り組んでいるところであります。  

菅家一郎

1984-03-12 第101回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第2号

只見川上田ダムにおきましては年間十四万立方メートル、田子倉ダムにおきましては同じく十四万立方メートル、本名ダムが少し少なくて、これは岩山だからですが十万立方メートル、奥只見のごときは実に六十万立方メートル、これは実は予想以上の急テンポに埋まっていくわけであります。これは、国有林私有林をも含めてでありますけれども、乱伐の影響であります。

滝沢幸助

1973-09-21 第71回国会 衆議院 商工委員会 第54号

それから第三番目が阿賀野川水系電源開発会社田子倉でございまして、三十八万キロでございます。四番目が奥只見、同じく阿賀野川にございます電源開発発電所でございまして、三十六万キロでございます。五番目が天竜川にございます電源開発会社佐久間発電所でございます。以上、上から五つでございます。

吉田方明

1969-09-03 第61回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第13号

唐橋委員 そのような御協力の中で問題の一つは、当時の開発は、先ほども各議員から各地の情勢の一端が出ましたが、地元民にはバラ色の夢を与えて、開発になればこの地域は全く裕福になるんだ、豊かな郷土になるんだ、こういうようなことの希望を与え、もう一つは、これが完成すればやがて上流には田子倉、奥只見のような巨大な貯水ダムができるから洪水は絶対心配ないんだ、こういうことを地元人たちに与えたということは事実であろうと

唐橋東

1968-04-03 第58回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第6号

あれは、私から申し上げるまでもなしに、田子倉発電所建設路線ということで敷設され、それを強化したにすぎない、こういう特殊事情もございますが、三十キロの間に、ただ一本レールで、交差する場所がないのだという。こんなような特殊事情というものがあっていいのかどうか。これがいま当面緊急に取り上げていただかなければならない問題ではないか、これが第一点でございます。  

唐橋東

1968-03-13 第58回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第4号

二月の初めのほうにおきましては、私どものほうで田子倉気象通報所がございますが、そこの記録は、二月の初めに三メートル四十でございます。これは積雪の深さでございます。それからもう一つ、その奥の奥只見電発観測所がございまして、それは四メートル六十四になっております。それから二月十四日から二十一日までのほうは、これは新積雪で新しく降った雪でございます。

柴田淑次

1967-11-10 第56回国会 衆議院 建設委員会 第3号

一番もめましたのは田子倉という地域ですが、その人たちがどうも電発と話し合わない。そのうちに、知事がいつでも仲介の役をとりながらやっていたという状態がこの問題を解決する糸口になった。これが大きな糸口なんですよ。いま委託契約をされてみますと、あくまでも県は住民側から見れば公団の出先機関です。この仲介的な性格を気持ちの中に持っていたとしても、受けるほうはそうでございません。

唐橋東

1965-10-01 第49回国会 参議院 商工委員会 閉会後第2号

その内容は、奥只見発電所田子倉発電所をはじめとする只見水系発電所及び新潟火力発電所帝国石油株式会社南阿賀油田日本ガス化学工業株式会社松浜工場石油資源開発株式会社紫雲寺ガス田見付油田実地調査のほか、地場産業としての福島会津若松市の漆器工場団地、並びに新潟県燕市の金属洋食器製造業の実態についても調査をしてまいりました。

吉武恵市

1965-03-16 第48回国会 衆議院 決算委員会 第14号

もちろんそれよりもよりりっぱにできておるダムも――たとえて言えば池原ダムとかあるいは田子倉ダムだとかいうものは、これは世間で見て非常にりっぱだというので表彰されるくらいですから、非常によくできておるのだと思いますが、そういうなにはあると思いますが、全然欠点があるようには思いません。よくできていると思います。

藤井崇治

1964-03-10 第46回国会 衆議院 決算委員会 第10号

たとえて申しますれば只見川筋の問題でございますが、只見川で、私のほうですでに開発した地点が四カ地点ございますが、日本最大出力といわれております田子倉発電所——これは三十八万キロでございますが、奥につくりました奥只見発電所——これは三十六万キロでございます。初めは、その間に二つの発電所をつくる予定であったのでございます。

藤井崇治

1964-03-05 第46回国会 参議院 商工委員会 第10号

ただいまのお尋ねにつきましては、実は理事増員につきましては、御承知のように、当初は建設のみを目的にしてこの会社が設立されたのでありまするが、当時の情勢として、各電力会社ともまだ基礎が十分でなくて、せっかく建設した発電所を各電力会社にそのまま引き取ってもらうという体制になかったために、引き続いてこの電源開発会社が運営までも引き受けてやるということにして推移してきておったのでございますが、次々と佐久間田子倉

藤井崇治

1964-03-05 第46回国会 参議院 商工委員会 第10号

ただ、そのときどきの電力開発につきましては、大体長期計画に従って需給のバランスを考えながらやるものでございますから、ときにおくれたり縮んだりする場合がありますが、奥只見田子倉、御母衣を同時にやったような、あんな計画は今度立てないほうが私はいい、また立てる必要はないと思っております。しかし、またここ当分は水力開発もそう悲観したものではないと考えております。  

藤井崇治

1964-03-05 第46回国会 参議院 商工委員会 第10号

現在では、御承知のように、水力開発が、一時ほど、奥只見田子倉同時にやっていたときほど、工事量はございません。土本人員を、事前に、その方面では抑制をしておりまして、中には、希望者もありまするが、定年で退職しているというようなものもあります半面に、新しい採用も、多少はやっておりまするが、きわめて消極的にやっております。それと、理事をふやしたがための増員はいたさないつもりでおります。

藤井崇治

1964-02-18 第46回国会 参議院 商工委員会 第5号

この水系発電所は、全部を合計いたしましても、奥只見田子倉、御母衣の各発電所はもちろん、同じ熊野川の支流の北山川水系でただいま工事中の地原発電所よりもその出力が少ないのでありますが、十津川に限らず、熊野川の水は、年間を通じてみますと豊富にもかかわらず、季節的に片寄っているため、これを利用するためにはいろいろと困難があり、特に経済的な開発ということになりますと、いまくらいの水の利用が限度だったようであります

近藤信一

1964-02-04 第46回国会 衆議院 商工委員会 第3号

同時に、主要なる大水力発電所、たとえて申しますれば、北のほうから、田子倉、奥只見のような只見川水系発電所、それからわが国で最初にできました天竜川筋佐久間発電所、それから庄川筋御母衣発電所といったような、わが国でも水力発電所といたしましては最大級発電所の間を二十七万五千ボルトの送電線で連絡いたしております。

藤井崇治

1963-03-29 第43回国会 衆議院 決算委員会 第15号

なお電力の問題でございますが、分水をしないで、只見川本流系で全部の水を使いますといたしました場合の発電電力量は、奥只見大鳥田子倉、滝、この四つの電発の分だけを考えてみますと、約十五億七千キロワット・アワーになります。それから一方、黒又川筋は黒又第一、それから先ほどちょっと申し落としましたが、末沢という発電所がございます。

藤関信彦

1963-03-29 第43回国会 衆議院 決算委員会 第15号

それからその下の田子倉ダム、これが三十八万五千キロであります。それから滝発電所、これが九万二千キロ、なおこのほかに只見川本流系には計画がございますが、これは今後の地点でございます。なお現在工事中の大鳥発電所がございます。これはことしの十二月ごろに運転に入る予定でございまして、九万五千キロであります。

藤関信彦